ビスタワークス研究所の志事(2) 文・大原 光秦

 日本人としていかに生きるか・・・私が主宰する学習会でよく考え合う問いです。右、左の思想や人種問題ではなく、自らの命の縦軸を考えること・・・血筋を縦軸にとり、縁者を横軸に取ることで居場所が定まり、覚悟が決まる。私たちは「日本人」であることについて真剣に考える機会が少なすぎる気がしてならないのです。それは、GHQによる戦後教育が大きく影響していることは間違いありませんが、なにより日本人ばかりに囲まれて暮らしているため、自分が日本人であることを意識する機会が少ないせいもあるでしょう。しかし、自分が何処から発し、何処に向かって行くのかを考え合わせなければ、志など立てられるはずがありません。そんなことを曖昧にしたまま生き切ることなど到底できないように思うのですが、みなさんはいかがお考えでしょうか。


 たとえばネッツ南国の社員たちは、ネッツ南国に所属しているということに特別に強い愛着を持っている、という事実があります。それは従業員意識調査によって一般企業と相対的に比較できるところであり、その差異は歴然としています。そこで考えたいのは「ネッツ南国」とは何か、ということ。おそらくその社員たちに「ネッツ南国って何ですか?」と尋ねたところで具体的にそれを語れる者などほとんどいないでしょう。創業者や現在の経営者、経営幹部や一人ひとりの社員、その家族やお客様たちがそこに存在し、そこで紡がれてきた物語、歴史があって、それらが一体系となって「ネッツ南国」を成しているのです。そのどの部分を切り取ってみたところでそれはネッツ南国ではあり得ず、私が私の右耳を切り取って「これは大原光秦です」と言えないのと同じことです。そしてまた、その右耳は大原光秦という肉体と一体形をなしてこそ、その役割に生きることができる。そういう意味で人が集う組織というものは人間組織とよく似た生命体足り得ます。日本国と日本人の関係も本来そういうものではないのでしょうか。

 かつての日本では、家や村といった単位で組織が存在しており、個人はそこから排除されることを強く恐れ、自身の命を世のため人のために使うという生き方を選択していました。耳が耳という部分として存在し得ないように、かつての日本では生命体たる組織から切り離されてしまうと、生きていくことが困難を極めたからでしょう。

 前段で「足り得る」と表現したのは、多くの会社等の組織は有機的生命体になることができておらず、単に作業遂行を円滑化するための「部分(個人)の集合体」であることが多いためです。そして、まさしく日本中がそうなりつつあるということです。「部分」は他の新しい「部分」と交換しても存続が可能。機械にも似た機能的集合体。新しい部分に求められるものは、かつての部分と同等の機能を果たすためのルールやマニュアルです。いくらでも入れ替えが可能ですが、それぞれの部分から「進化」「創造」の芽が発することなど到底期待しようがありません。そして何より、大和民族のそれぞれが切り離され、部分としてしか存在し得ない未来が来るとすれば・・・間違いなく滅亡に向かうはず。日本人ほどに絆の断絶を恐れる民族はいないからです。


 さて、DVD「どう思う」創刊号では、「入職初期のキャリア形成と世代間コミュニケーションに関する調査」(労働政策研究・研修機機構)から、「これまでに重視された人材」と「これから重視される人財」の能力の相違に焦点を合わせ、横田英毅と考えを交換し合う対談映像をお届けしています。過去の日本では「職場のチームワーク」「指示通りの行動力」「基礎的技能や知識」が求められていたのに対し、これからは「自分で考えて行動する力」「組織を率いるリーダーシップ」「部下や後継者の育成力」が求められていると言います。この変化は何を意味しているのか。映像の中で、ネッツ南国の事例をご紹介しながら様々な考察を述べていますが、その中で、「そうしたことは昔から言われていた」という事実を指摘させていただきました。かれこれ4半世紀もの間、人生の岐路を案内する仕事に就いてきた私の経験から、25年前にも同じことが言われていたことを知っているのです。なぜ、いまだにそんな戯言をいっているのか・・・。

 戦後、日本の企業は、個人が考えを持たなくとも業務遂行を適えるための規則や手順書を整備しました。そのお陰で、「記憶の量」だけで生きられる社会は実現しましたが、一方で無味乾燥な人生を捨て去る人間をも生み出しました。さらに言えば、その社会で適応し生き得る者は「自ら考えること」「他者のために生きること」を放棄し得たという意味では獣、すなわち霊長類ヒト科ホモサピエンスでしかなく、モンスター化している(厳密には動物状態のまま発達停止している)と言っても過言ではありません。企業も学校も、そして家庭も地域も「自ら考えて善行を施し、尊敬される日本人」を育む土壌を放棄しつつあります。そしてさらに、「うまく適応させる」という口実のもとに新入生や自らの子どもに規則や手順書を押し付け、さらなる思考停止、発達停止へと誘導しているのです。

 この悪循環を断ち切るために必要なことは・・・DVD「どう思う」の中で繰り返し述べているところですが、「規範もしくは模範を示し、自分で考え、行動させること」すなわち「失敗を受け入れる」環境をつくる他ありません。そうした話をすると、「やっぱりそれしかないんですよねぇ」とため息をつきながら、「どこまで失敗を許せばいいんでしょうか?」と質問される方がいます。・・・そう質問するあなた自身がそのことを「自らで考え、実践し、部下の失敗を引き受けて自らの糧とする」ことが肝要なのですが。