ビスタワークス研究所の志事(5) 文・大原 光秦

似て非なるものを悪む ~阿呆道から考えること~

 連日報道されていた食品偽装(偽装表示)問題。ご家庭や職場でも話題に上ったことと思いますが、皆さんご自身としては、どのような視座でご覧になり、お考えになりましたか?報道を見ていると、『嘘を書いて金儲けしたらいかん』といった消費者への不義や、現場スタッフに責任転嫁する経営者への批判を繰り返すばかり。至極もっともな話ではありますが、それに終始する域を出られないメディアの浅薄さに残念な思いを抱かれている方も多いのではないでしょうか。今回は報道ならぬ阿呆道についての私見を書いてみます。


 数年前まで、ネッツ南国にはテレビの取材申し込みが数多く寄せられていました。我々ビスタワークスがその調整をしていたのですが、性善説でテレビ取材に当たって大失敗をした経験があります。取材依頼元は全国ネットのF社。ネッツ南国の顧客満足度の高さと経済的限界地域というハンディをものともしない業績の源となっているところをお茶の間に届けたいという依頼でしたので、快く引き受けたことが悲劇の始まりでした。電話による制作者との打ち合わせの末、採用活動と新人研修にスポットをあてることになりました。2日間ほどの滞在取材でカメラを回していたディレクター兼カメラマン。彼がタバコを吸っていた休憩室の隣では外部講師を入れてのマナー研修がおこなわれていました。外まで漏れ聞こえる気合いの入った声が気になったのでしょう。勝手に部屋に入り、カメラを回していたようです。それを見つけたネッツ南国社員が慌てて私に報告にきたため、「マナー指導はあくまで接客の最低基準を教えているだけのことで外部講師に任せている。厳しい研修風景が面白いからといって、そこを放送されると誤った認識を広めることになる。映像使用は許可できない」と注意したことでした。最初は「工夫するのでなんとか使わせて欲しい」と言って聞かなかったカメラマンでしたが、使ってはならない、と被取材側が強く言っていることに逆らえる道理などなく、渋々といった面持ちで帰ったのですが・・・実際に「報○2001」なる番組の中で放送された内容は・・・まさしく「してはならぬ」と言ったものをさらに虚構で固めたでっち上げでした。即刻F社にメールを送ったものの返信なし。電話番号を調べて、窓口の人に責任者から電話させるよう言っても「なしのつぶて」。やむを得ず放送に至る経緯の説明とF社への抗議文をネッツ南国のホームページ上に掲載。私が文責者となって実名を入れたことでした。地方ディーラーとはいえサイトへの訪問者は1日に数百名を超えます。連日応援・共感メールが届きましたので、それらもすべて掲載していきました。やがて放送から1ヶ月以上経った頃、番組制作責任者と称する女性から私に電話での謝罪が入りましたが・・・「済んだことは済んだこと。今後は一切当社の映像および社名を使用しないことを約束してください。え?ホームページの抗議文を削除して欲しい?それはゼッタイにできません。」ときっぱり伝え、電話を置いたことでした。その直後頃に国営放送のプ○○○○○○○ルなんていう番組からも取材依頼が入ったりしましたが、当時の社員たちは極度のガッカリ感×怒り心頭で対応できる状況ではない。皆の怒りを一身に背負い、私の独断でテレビ取材拒否を続けながら今日に至っておる次第です。


 さて食品偽装(偽装表示)問題。これは、某ホテルの社内調査で明らかになったことを自発的に発表したところに端を発しています。それを、まるで鬼の首でも取ったかのように攻め立てるメディアの姿勢には呆れるばかり。数字を取るための狂騒劇です。多くの新聞社も同様。政権が変わってから以降、憲法改正や特定秘密保護法、消費増税、道徳授業化などのデリケートな案件について、それぞれの見地から主張を紙面に書き連ねてもいますが・・・いくら報道の自由が特別なものだとしても、偏った論調の記事ばかりで紙面を構成し、読者が客観的に考えるための情報提供をしないというのはいかがなものなのか・・・。今から70年ほど前には好戦的論調で国民を扇動しながら、敗戦すると「一億総懺悔」の体で紙面を構成した新聞社達ですが、やっている事が違えども構造はまるで同じです。主張に合う新聞を選んで購読すればいい、という立ち位置なのでしょうが、論調の違いを判断できる人が少数であることを熟知した上でそうしているのですから始末が悪い。さらに、好みの新聞を取ることが出来ない地域となると地方新聞の責任は重大。社の思想に合う中央記事を転載するばかりで、務めを果たしていると言えるのでしょうか。何よりも問題だと思うのは、偏った報道をする一方で、「授業に新聞を使おう」とNIE(Newspapers In Education)活動を推進していること。客観性を欠いた紙面が教材になっていいわけがありません。


 いよいよ年の瀬。今年は「倍返し」やら「土下座しろ」やら、果てには「自爆営業」など、戦闘的な言葉がもてはやされた感があります。流行語にノミネートされている「アホノミクス」なんていうのは誰が言ったものかも知りませんが、そんな品格に欠ける言葉を流布する者もする者。あちらこちらから「怒り」がこみ上げてきている気配がします。怒りをどう扱うか・・・これこそが人間の英知。私は「夢をもってわくわくガンバロー♪」・・・というタイプとはまるで逆で、憤りこそが活力源。家にいてテレビ視聴権が手に入った時(=子どもが寝て家内が風呂に入った時)などは、決まって重くて暗いドキュメンタリーや適当なことを放言している阿呆道(報道)番組を見ながら眉間に皺を寄せ、沸々としています。憤りは志あるが故の義憤。夢と志。同義として扱われることの多い言葉ですが、似て非なるものと、分けて考えてみると何かが見えてきそうですね。

匿情は慎密に似たり。柔媚は恭順に似たり。剛愎は自信に似たり。 故に君子は似て非なる者を悪む。
佐藤一斎 [言志録より]