ビスタワークス研究所の志事(17) 文・大原 光秦

知らぬは亡國

 平成29年が暮れようとしています。共に学び、互いに磨き合う皆様との出会いに、まずもって1年の感謝を申し上げます。
 年初から示道塾を始めとする学習会で触れてきたとおり、現代が「VUCA※1」と呼ばれる大きな転換期であることを実感される日々だと思います。国際情勢が緊迫の度を増していく中、幕が上がる平成30年を如何なる年とするのか、リーダーには研ぎ澄まされた志坐と展望が求められています。


 今から丁度150年前、政権が朝廷に奉還されました。平和裏に実現したこの革命、奇跡を起こした最大の功労者は坂本龍馬でした。中学時代はトシチャン(たのきんトリオ)だと騒がれ(汗)、大学時代はインディーズ界のモニカ(吉川晃司さん)だと囁かれてきた私ですが(大汗)、30代半ばからは龍馬さんと重ねられることが多くなりました。ときに「意識しているんですか?」と無節操な質問をされ、(そんなワケないろうがぇ)と独りごちる、私にとってはビミョーな人物。連想されることを避けて示道塾でもあえて取り上げず、ソッとしてきた存在なのですが・・・先般開催した日本示道塾「土佐の旅」では、思い切って龍馬三昧の旅を決行しました。というのも、催行日の11月15日は、彼の生誕日であり革命の直後に京で命を落とした日。そしてそれから丁度150年の区切りとなる日だったのです。桂浜の龍馬像はもちろん、開設したばかりの高知城歴史博物館や龍馬の生誕場所、脱藩の祈りを捧げた坂本家の和霊神社などを巡りながら、風雲急を告げた時代に生き切った男に想いを重ねるひと時となりました。


 その前日の14日、驚くべきニュースが報道されました。高校と大学の教員らで作る高大連携歴史教育研究会が、坂本龍馬や吉田松陰、武田信玄、上杉謙信らの名前を教科書から削除することを提案したというのです。歴史の授業で覚えなければならないことが多過ぎるということが、その主な理由。たしかに暗記に偏重した教育を見直すことは重要なことです。しかし、史上の人物が生きた文脈に自身の生き方を重ね合わせ、人生観や國家観を養うことこそが歴史を学ぶ本義。私にとってはビミョーな龍馬さんですが、教師の皆さんにとっては研究すべき人物だと確信しますし、個性的であることを厭い、挑戦から距離を置いた現代青少年にこそ語り継ぎ、関心を持ってもらわないといけません。


 聴くところでは、研究会でその提案が検討される際、坂本龍馬は歴史的に大きな影響力を持たなかったとされたらしく、また、「司馬遼太郎氏の小説『竜馬がゆく』(昭和37年から産経新聞に連載)以前にはまったく注目されていなかった」と物知り顔でテレビに出て語る御用学者もいました。こうした誤った知識が地上波で拡散することによって、事実が誤認されていくこともまた大問題。昭和18年の国定教科書ですでに「朝廷では、内外の形勢に照らして、慶応元年、通商条約を勅許あらせられ、薩・長の間も、土佐の坂本龍馬らの努力によって、もと通り仲良くなりました」とあります。一方で、薩長同盟の当事者、西郷隆盛先生や木戸孝允さんは近年に至るまで教科書では取り上げられておらず、相対的に龍馬さんの方が重要度の高い人物として位置づけられていたことがわかります。また、今年公開された龍馬暗殺5日前に書かれた書状(福井藩重臣中根雪江宛)からも、彼が大政奉還へと時代を動かし、列強に対抗できる新國家を設立するために尽力していたことが明らかになっています。


 高知県の筆山墓地に眠る永野修身氏※2は、郷土の先輩である坂本龍馬を尊敬してやみませんでした。昭和16年11月26日、メリケンから実質的な宣戦布告状「ハル・ノート」を突きつけられた日本。軍令部総長を務めていた永野氏は、「戦わざれば亡國と政府は判断されたが、戦うもまた亡國につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして國亡びた場合は魂まで失った真の亡國である。戦ってよしんば勝たずとも、護國に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう」と語っています。教育は如何にあるべきか。知らぬが仏で國家を護れるはずなどないのです。


 研究会から出されたこの提案は、今後波紋が広がり、議論が深められていくことでしょう。歴史の授業は何をその本義とするのかを考える絶好の機会。これから、ネットアクセスの技術革新によって、単純な暗記型授業は意味をなさなくなることは間違いありません。それしかできない先生方はお払い箱にして、「日本人學」という教科を設置し、代表的日本人の生き様を学ばせるといいですね。なんなら私、講師やります。

※1 VUCA(ブーカ)とは、Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)の頭文字を繋げた造語で、これら4つの要因により、現在の社会経済環境がきわめて予測困難な状況に直面しているという時代認識を表す言葉。
※2 永野修身(1880年 - 1947年) 日本の海軍軍人、教育者。海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期。最終階級および栄典は元帥海軍大将従二位勲一等功五級。第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。 海軍三長官全てを経験した唯一の軍人。極東国際軍事裁判においてA級戦犯の容疑で訴追される中、巣鴨プリズンにて病死。